都会っ子のいらだち


 いや、しかし暑いねえ。この原稿を書いているのは6月17日だが、昨日は東京でも最高気温32度だったそうだ。前橋ではなんと35度!。梅雨入り宣言が出てから、関東では全く雨が降ってない(そんなもんだよな)。はあー、たまらん。もともと太り気味で汗かきな上に、4月からスーツを着て働く仕事についたものだから、この暑さは実にこたえる。毎日朝から夕方まで汗だくである。おまけに職場の上司が冷房が嫌いな人で、窓を開けざるを得ない。そうすると風は無くたいして涼しくならない一方で、職場の横にある茂みから蚊の大群が襲ってくるのだ。推定20匹程度が常時侵入し、毎日10匹程度は手でたたいて殺す。さらに蚊取り線香で応戦すると、叩かなくてもポトポトと蚊が床に落ちていくのが見える。でもやはり手足の数カ所は刺されてしまう。痒くてポリポリ掻いていると、ますます体が外と内の両方から熱くなっていく。汗がたれ、体を掻く手がすべり、イライラも募る。うちわで体をあおぐと、書類が飛びそうになってまたイライラ。さらに手に汗がにじんで書類や資料がじとーとぬれて手に張りついた日にゃあ、そらあんた、ウキー!!!ですよ、ホント。ま、こういうことを書いた時に限って雨がきて梅雨らしくなるだろうから(それはそれで不快だが)、もうしばらくは我慢できるだろう。しかし7月・8月になればどうなってしまうのだ。死ぬぞ、ホントに。

 僕は今書いたように汗かきで暑がりなので、夏はクーラーをガンガンにかけるのが好きだ。最近は環境のことも少しは考えて(?)自分の部屋でも27度までしか冷やさないが、10代後半の頃は部屋を25度未満まで冷やし、毛布をかぶって昼寝するのが好きだった。これが実に気持ち良い。一見不健康そうだが、それで完全にリラックスできたのだから、少なくとも精神的な健康には貢献していたはずである。一方、僕の両親は冷房が嫌いであり、家をキンキンに冷やしてはよく怒られたものだ。今でも両親とは同居しているのだが、僕は暑い日には自分の部屋にこもりっぱなしで、ほとんど両親と顔を合わさなかったりする。職場の上司も僕の両親と同じくらいの年齢であり、やはり若い人に比べたら高齢の人の方が冷房嫌いの傾向があるのかもしれない。ま、別に両親や上司の言うことを聞かずにクーラーつけてもいいのだが、それで相手の機嫌を損ねるのも残念なことだ。そういえば先日、埼玉県の定時制高校で71歳の老人と若者が冷房の効き具合を巡って口論になり、老人がバタフライナイフで刺し殺される事件もあった。あれは多分被害者の方が冷えるのを嫌ったのだな。冷房嫌いな多くの高齢の方は、「冷房は体が芯から冷えるようで嫌だ」「自然の風の方が気持ちいい」と言う。一理あるとは思うのだが、だからといって30度以上の暑さを我慢する理由としては弱いのではないか。全く風の吹かない日だってあるのだし、汗だくな状態では体力を消耗してばててしまう。冷房入れた方がよっぽど健康に良い時だって多いのだ。

 しかし、それでも冷房が耐えられないと言う人は多い。これは、冷えるうんぬんというよりも、冷房のような人工的な環境それ自体に嫌悪感を感じてしまっているのではないだろうか、と思う。逆に僕も、冷房が好きというよりは人工的な環境が好きなのだろう。僕は典型的な都会育ち・マンション育ちであり、いわゆる「自然」が苦手だ。小さい頃から遊びと言えば草むらでの野球よりも家でのファミコンだったし(だいいち家の周りに草むらや公園が無かったし。舗装道路でサッカーはやってたが)、虫は当然大嫌い。土よりコンクリが好きな子供であった。大人になってからもその傾向は変わらず、緑が多いところにあまり行く気にならない。ごくたまに山へキャンプに行ったりするが、これは友達と遊ぶのが楽しいのであって、「森の空気がおいしい」などとは思わない。茂みに立ち入ったり草むらに腰を下ろす(しかも軽装で)などとんでもない話である。

 「自然」を愛する人達(特に「自然」の多かった昔を懐かしむ高齢の方)から見れば僕などは異常者、あるいは文明社会の犠牲者なのかもしれない。実際、たまに山口県の両親の実家へ行くと、虫一つつかめない、山を駆け回る体力も無い都会っ子としてからかわれたりする。僕も自分が多数派だとは思わないし、「俺は都会でしか生きられないんだろうな」と思う。しかし、よく目にする「最近の若者は自然の良さを知らない」とか「都会は病んでいる」とか、あげくの果てには「最近の若者の異常行動の原因は自然と触れ合わないことにある」などどいう言説には反発せざるを得ない。だって、僕は都会で育ち、おそらくはこれからも都会で生きて行くのだから。僕の住むところには初めから「自然」は無かったのだ。都市のヒートアイランド現象の中ではある程度は冷房を入れざるを得ず、その冷たさに適応せねばならない。緑の少ない環境では無機的なコンクリートにも慣れなければ生きていけない。人工的な環境の中でそれに適応し、その環境にふさわしい感受性を身に付ける、これはどこも異常ではなく、むしろそうすることが生物として自然ではないだろうか。

 ま、偉そうなこと言っても、ただ冷房入れたいだけなんだけどね。

 

ショートカット119号掲載(1999年7月15日)

 

 

(注)その後上司も観念して、冷房を入れてくれるようになりました。


戻る            ホームへ