ユーゴ空爆


 NATOのユーゴ空爆とセルビア国内の怒りの声をニュースで見ていて、日本人は55年前にこういう体験をしていたんだな、と思う。ユーゴの、特にコソボから遠く離れた地域の人達にしてみればNATOの空爆は不合理な侵略以外の何物でもないのだろう。なにしろ自分達はNATO加盟国に何一つ危害を加えていなかったのだし、長年にわたってコソボは自分達の国の領土とされてきたのだから。「鬼畜米英」をスローガンとした大日本帝国の人々は全く同様の気持ちだったであろうし、今の日本人だって同じ立場に立たされたら同様の振る舞いをするだろう。しかし、他人の立場・主観にある程度の共感を寄せるのは必要だとしても、完全に同調してしまうのは危険だ。遥か遠い極東における傍観者という立場を承知しつつ、僕なりにできるだけ冷静に、いくつかの観点からNATOの空爆について考えたい。

 まずは政治的観点から。数多くの「誤爆」によってNATO(アメリカ)は多くの国から非難を受け、中国・ロシアとは冷戦後最悪とも言えるほど関係が悪化してしまった。空爆の圧力によりユーゴ軍をコソボから撤退させるという当初の目的も全く達成されていない。これは明白な政治的挫折といえるのではないか?ドイツやイタリアの国内で空爆離脱が議論される中、NATOの権威は明らかに低下してしまった。民族紛争への対応は、拡大NATOの最大の懸案であったのだが。

 次に法的観点。今回の空爆は従来の(あくまで従来の、だが)国際法の枠組みからすれば、ほとんど根拠の無いものだ。特にロシアの拒否権行使を恐れて国連安保理を避けたことで、正統性の獲得は非常に困難になってしまった。

 人道的観点からはどうか?自国土が爆撃された経験のほとんど無いアメリカにしてみれば空爆というのはそれほどハードな手段ではないのかもしれないが、空爆というのは他の形態の戦闘に比べてもずっと「巻き添え」の多い傾向がある(太平洋戦争、ベトナム戦争を見よ)。それが電子技術の発達した現代でも変わらないことは、難民の列や病院にもミサイルが撃ちこまれた事実からも明らかだ。「一般の」ユーゴ人やアルバニア系の犠牲は一体どれだけになるのだろう。また、空爆によってユーゴの治安部隊が撤退しないばかりか、かえって非人道的行為(民族浄化)が加速された面もあるだろう。そしてなにより、ユーゴ人やアルバニア系の犠牲と比べて自国兵士の犠牲について極度に敏感なアメリカの姿勢には、「生命の重み」についての明確な差別意識が現れている。今回、空爆という手段に絞ったことで非人道的な色彩が強まったのは否定できない。

 それでは、いわゆる純軍事的観点からはどうだろうか。なんだかんだ言ってもNATOの最新兵器の威力は凄まじく、ユーゴ軍の戦闘力は大幅に低下していると考えられる(コソボで脱走兵相次ぐとの情報もある)。その一方でNATO側の損害はほとんどゼロである。純軍事的に言えば、戦闘はNATOの圧倒的優勢で進行しており、そこに関しては空爆はうまくいっているように見える。だが、それが一体どうしたというのだろう。そもそも軍事とはある目的を達成するための手段であり、政治という過程の中の一部分でしかない。NATOの会見などの中でも純軍事的観点から空爆の正当性を主張する言い回しがしばしば見られるが、そもそも「純軍事的」などという概念自体が歪んでいるのだと思う。何らかの政治的ないし人道的成果が伴って初めて、軍事行動は「ただの」人殺しではなくなるのだ(それでも人殺しには違いないけれど)。また、軍事的な観点ないし価値が他のものに優先するあり方を政治学では「軍国主義」と呼ぶ。もしこのままNATOが爆撃のみを長期間続けることになれば、NATOは「ただの」人殺しであり、軍国主義との批判を逃れえないだろう。

 思うに、NATOが「人道」のタテマエで、しかも将来の欧州内外の民族紛争を予防するという政治的目的をも掲げてコソボ問題に立ち向かうというのであれば、できるだけ早い時期に地上軍を投入すべきだった。身を張ってアルバニア人を守ってこそ「正義」を示し得たのだと思う。民主主義国の軍隊が民間人より軍人の命を優先してどうする?ユーゴ人の命もアルバニア人の命も軽視して効果の薄い(というより逆効果か)爆撃を繰り返す。これは侵略と呼ばれても仕方のない愚行だ。NATOは道を誤った。周辺諸国は大量の難民を抱えてしまった。今の時点で地上軍を投入すれば、さらに戦火が拡大し、将来の第3次大戦を招く可能性だってあるだろう。泥沼である。

 僕は「NATOの空爆さえ止めれば平和になる」などどいう幼稚な考えにも、中国の時代錯誤の絶対主権論にも賛同しない。バルカン紛争は冷戦後の世界を規定しかねない、後の世界史で第2次大戦と同様に「ターニングポイントだった」と記述されてもおかしくない、それだけの重要な問題だ。だからこそ、今回のNATOの対応は残念でならないのだ。さて、これからどうすればいいのだろう。

 

ショートカット118号掲載(1999年6月1日)

 

[追記]
 その後、NATOの決意を見くびったミロシェビッチの対応と中国の執拗な「内政干渉」批判に対して西欧社会民主政権を中核とするNATO諸国は結束を強め、空爆を続行。ついにミロシェビッチ政権を屈服させた。「戦後」の国連中心の枠組みによる平和維持活動もそれほどの支障なく遂行されている模様で、さらに(間接的にではあるが)ミロシェビッチ政権そのものを葬り去ることにも成功した。本文で述べたような様々な困難を乗り越えて「民族浄化」をストップさせたことは大きな成果に違いなく、冷戦後の世界秩序の維持手法について大きなヒント・糸口となった。正義というのは無闇に振りかざすものではないし方向を誤れば大変な損害をもたらしうるというのは歴史の示す通りであるが、しかし何もしなければ何事も達成されないというのもまた事実であろう。今後日本は、こうした大いなる問題に対して、一体何を行い得るのだろうが。


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