1月31日(金)

 NHKBS−hiで『海底の戦艦ビスマルク』見る。1941年に英艦隊により包囲され沈んだ戦艦ビスマルクについて、英国側は「砲撃で沈めた」と、一方独側は「いや、自沈だ」と主張しているんだとか(歴史に関する都合のいい解釈は万国共通だ)。で、その謎を解き明かすために最新技術で海底探査を行って検証。結論は「やっぱり撃沈」というものだったが、そんなことよりも複数の戦艦に袋叩きにされてなお沈まぬ(水平射撃のため)ビスマルク艦内の惨状、そして1000人ほどの生存者が海に逃れたにもかかわらずUボートが接近してきたせいで英軍艦の救助が遅れてほとんど助からなかったという事実の方がよっぽど重い。味方が来たせいで助からなかったという皮肉な運命。

 ちなみに、制作指揮はジェームズ・キャメロン。同じ「歴史の再現」でも『タイタニック』よりよっぽど面白かったぞ。

 

 録画でリーガ・エスパニョーラ(今週はまだ1試合も観てなかったよ!)。アトレティコ・マドリー 1−2 レアル・ソシエダ。ココもそうだったけど、アルベルティーニもスペインに来たとたんやたら元気になっていて、芸術的なFKを見せたりと「復活」というより「リニューアル」という感じの活躍。これはたまたまなのかな?僕がセリエAよりリーガ・エスパニョーラのサッカーを好きなのと根は一緒のような気もするのだが…。


1月30日(木)

 金子勝著『長期停滞』(筑摩書房)読了。今の日本が歩いている道はいつか来た道……というのは薄々感じている人も多いだろうけど、ここまで具体的に昭和恐慌と現在との類似点を指摘されると相当に不気味ではある、とか考えながら読んでいたら、先日の某新聞に「小泉首相、ラジオで国民に直接呼びかけか」とかいう記事が載っていた。……うーむ、マジで背筋が寒くなってきた。

 この本、最初の方で言いたいこと(要するに「主流経済学(新古典派)は論理破綻している」ということ)は大まかに述べてしまって、あとはそれを丹念に検証していく形式になっている。だから筋のいい人は最初だけ読めば済んでしまうのだけれど、僕みたいな経済オンチにとってはこうした形だと随時復習しながら頭に入れることになるので非常に助かる。1回読むだけじゃ忘れちゃうもんね。あと、政治史的な観点を取り入れているのもなかなか興味深い。


1月29日(水)

 夜、NHKBS−hiで『朗読紀行にっぽんの名作 「風の又三郎」』。朗読・小泉今日子に演出・黒沢清。これはもう観るしかないだろう。

 「風の又三郎」と言えば不思議な雰囲気の名作だが、「不思議」というのは「不気味」とか「恐ろしい」と隣り合わせ(というかほとんど同じ)なのであって、よく考えたら気味の悪い描写も多かったりする。その朗読を曇り空の下、うち捨てられた山中の建物や閉鎖された遊園地で淡々と行ったらどうなるか。もちろんホラーの世界になる。単に風景の中で文庫本を片手に小泉が「又三郎」を読んでいるだけなのに、けっこうなダークな迫力があるんだな、これが。演出家のカラーが存分に出ているというか、さすが黒沢清、廃墟を撮らせたら世界一である。


1月28日(火)

 夕方、渋谷シネ・アミューズで黒沢清監督『アカルイミライ』。公開前の雑誌等での露出の多さやオダギリジョー・浅野忠信といった話題のキャストに関わらず、映画自体ははまったくもって黒沢清らしいものだった。

 東京の真ん中で我々が見慣れたはずの、しかしなぜか陰鬱で空疎感の漂う街並。孤独な一人暮らし。転がる死体。ばらばらの家族。全編を貫くのは、『ニンゲン合格』『大いなる幻影』『回路』といった作品群に通じる「所詮、人と人とは分かり合うことなどできない」というモチーフだ。惨劇と小悲劇を交えつつ、静かに、淡々と、人と人が噛み合わずすれ違い続ける様子が描かれる。

 そう書くとまるで絶望的な映画のようにも思えるが、しかしそこは一筋縄ではいかない。全身を針金で固定し首にひもをかけた浅野が椅子を蹴飛ばす瞬間の解放感。床下でたくましく漂い、海へ向かって去っていく毒アカクラゲの美しさ。そして何より、藤竜也(好演!)演ずる時代遅れの中年男がオダギリを抱きしめて叫ぶセリフが感動的だ。「許す!」。

 そう、人と人とは分かり合うことは不可能だが、許し合い受け入れ合うことはできる。この映画は結局のところ(これまたこの監督らしい)前向きな結論にたどり着くのである。ラストシーンの長回し、表参道をふざけながらダラダラと歩いていた若者たちがいつの間にか真っ直ぐに、真剣な眼差しで歩き始めたところで映画は終わる。ダークなトーンにだまされてはいけない。黒沢監督は本気だ。確かに未来はアカルイのだ、と。


1月27日(月)

 夜、新宿東口の「ペンギンのいる居酒屋 漁亭」で友達のお祝い会。ペンギン君たちがひょこひょこ歩いて出迎えてくれるのかと思いきやそんなことはなく(暖房の暑さで死んじゃうよな)、入口入ってすぐの水槽で所在なげに佇む2匹(いや2羽、か)の姿が。まさか隠しメニューでペンギン料理はないだろうな(笑)。料理はおいしく、なかなかいいお店だったんじゃないだろうか。

 で、カラオケ付の個室で3時間ほど。どうも音痴ですいません(笑)。

 

 ワールドカップ・イヤーのラグビー日本代表スコッド発表。うーむ。こういうのは人によって見方は違って当然なんだろうれど、増保とか岩淵とかサントリーの田中とか、ハートの強くて経験豊かな選手を入れとかなくてええんかいなという気はする。苑田・淵上・松田・バツベイあたりの起用がちょっと首をひねるところだろうか。7月にもう一度メンバーの見直しをするとは言っても、その頃にはもうアメリカ・ロシア戦も豪州A戦もイングランド戦も終わってしまっているわけだから…。


1月26日(日)

 推敲は大事だ。

 ビデオで、三池崇史監督『DEAD OR ALIVE 2』観る。1作目のヘヴィ・メタルのような怒濤の勢いとはうってかわり、軽妙な演出と間延びした構成が目立つ作品。中盤主人公たちが小学校の校庭で遊ぶあたりでは「もしかして三池、『ソナチネ』やりたいのか?」と不安になったのだが…。ま、あまり真面目に見ると腹を立てることになるかもしれない。少々ふざけすぎの感もあるけど、そういう監督・そういうシリーズなんだと割り切って見ないといけないのだろう。個人的には、最後、二人(哀川翔と竹内力)の魂が空の彼方へ飛び立って欲しかったね。それでこそ冒頭の惑星シーンの意味も出てくるだろうし。

 

 競馬のAJCC(G2)はホットシークレットが狙いだと考え、よっしゃ複勝で勝負!……したら直線で競り負けて4着(笑)。柴田善臣は追えない騎手だから仕方がないか。4角で内に入れた判断は間違いではなかった。マグナーテンは中山も合うんだろうな。一方平安S(G3)の方は意味不明の万馬券。いや、スマートボーイ激走は予測の範囲内であったが、クーリンガーっていったい何よ。
 いやあ、去年は馬券自体をほとんど買わなかったけれど、買ったら買ったでなかなか当たらないもんだねえ、ってわしゃ初心者か(笑)。1月の痛恨は、心情買いでハズした日経新春杯かな。

 JスカイスポーツでFAカップ4回戦。マンチェスター・U 6−0 ウエスト・ハム。ウエスト・ハムDFのあまりのユルユルぶりを差し引いても、マンチェスターの攻撃は凄かった。ペナルティエリアへの選手・ボールの出し入れの、何と厚くて多様なことよ。で、それが可能になったのはなぜかと言えば、CBリオ・ファーディナンドが復調したから。守備が固まるからこそ攻撃サッカーが出来るという好循環。

 『Number』568号読む。一番面白かったのは斉藤と大畑の記事。大畑はエゴイスト(別に悪い意味ではない)で、サッカーならばストライカー向きの性格だと思った。2人ともフランスに行ったのはとても良いことだ。本文中にもあるように、日本人はNZと同じラグビーやったって国際試合で永遠に負け続けるだけだろうから。とにかく向こうで一回り頑張って、そこで元木みたいなセリフが言えたら最高だけどね。


1月25日(土)

 国立競技場でラグビー全国社会人大会最後の決勝戦。サントリー 38−25 東芝府中。特に前半は拮抗した、とても良いゲームとなったと思う。ハーフタイムを6点リードで終えるまで東芝は個々の強靱さと「思いきり」においてサントリーを上回っていた。でも、サントリーの真の強さは後半ロスタイムまで同じプレーを維持(時にはペースアップすることも)できるフィットネスと、ベンチの誰が出てきても先発に全く見劣りしない選手層にある。案の定、後半になるとサントリーがあらゆる要素において圧倒し始め、終わってみれば全くの完勝。優勝に相応しいチームが優勝に相応しいゲームで有終の美を飾ったということになるだろうか。ただし、前半の東芝が示した通りサントリーに対して他チームがつけいるチャンスがないわけではもちろんなく、おそらく日本選手権、あるいは来季の鍵は「外をどう使うか、あるいはどう使わせないか」にかかってくるのではないだろうか。

 試合前の記念表彰や試合後の表彰式を見ていて感じたこと。トップリーグもいいんだけど、その前にあのヨボヨボの協会会長をなんとかした方がいいんじゃないの?宿沢氏が強化委員長の任期を終える頃行われるトップ人事が、もしかしたら日本ラグビーの命運を左右するのかもしれない。

 

 夜、NHK総合で『NHKスペシャル ロシア軍戦略ミサイル軍』見る。例えば、観客にそれと知らせずに、ロシア軍の核ミサイル基地を使って戦争映画を撮ったとしよう。きっと「あんな古くさい装置、今頃あり得ない」「ハリボテじゃないの?」「すげえ低予算映画」とかってボロカスに言われるに違いない。誰もあれがロシア戦略ミサイル軍の、まかり間違えば人類の命運を左右しかねないほどの重要施設だとは信じないだろう。でも実際にはそんなオンボロ施設において、給料もろくに支払ってもらえない訓練不足の軍人たちが核ミサイルを操作しているのだ。年季が入って薄汚れた電話器で指令を受け、錆びたキーを回し、角の欠けたスイッチを押す。恐怖の現実。

 JスカイスポーツでFAカップ4回戦。アーセナル 5−1 ファーンボロ5部リーグの中堅どころ(当然、全員アマチュア選手)を相手にたいして手を抜かないアーセナルも凄いというか律儀というかだが、ファーンボロも自分たちのできること(通常のCKで厳しいと見るやショートコーナーに切り替えたりとか)を精一杯やって1点もぎ取ったんだからエライ。えらくなかったのは、前半ファーンボロの10番を一発退場にしたレフェリーかな(ちったあ空気を考えろよ(笑))。せっかくのホーム開催権を警備上の理由で断ったファーンボロに対してアーセナルがこの試合の売店売上と入場料収入の半分(しめて約1億円!)をプレゼントした、というのはまれに見る「いい話」だね、マジで。


1月24日(金)

 中尾亘孝著『ラグビー文明論』(双葉社)読了。お馴染み「ラグビーマッドおやぢ」の本。日本ラグビーの縮小傾向と変革の試みを前にいつもよりも力が入っている様子で、独特の辛口批評は持ち味と言えばそれまでだが、しかしそれにしても良く言えば熱い、悪く言えばしっちゃかめっちゃかな本に仕上がっているなあ、というのが第一印象。いつもはもう少し冷静かつ戦略的に批判しているように思えるのだが、今回はちょっと余裕のなさが目立つ。日本代表と対抗戦とトップリーグの話が行ったり来たりして構成に落ち着きがないとか、サッカーライターを一括りにして「トルシエの功績を認めない」一点で罵倒してるのはカチンとさせられるとか、批判先の名前をとことん明言しない(もろに特定できるけど。金子達仁とか(笑))のはどうなのよとか、他者の言説やふるまいに対して上品さを求めることと著者自身のあまりに品のない物言いは矛盾してんじゃないのとか、ちょっと「おいおい」という部分が多い本ではある。

 が、しかし。それでも、僕はこの本(というか中尾氏)を支持したいと思う。それは、彼の論旨を一貫して支えているのが「(失われつつある)ラグビーという文化の存在意義を守ろう」という主張だから。僕はサッカーも見る人間で、ラグビーもサッカーのように興行的にもW杯の戦績でも成功してほしいし、そのためにサッカー界からも多くの事を学ぶべきだと思う。ただ、それでも、ラグビーが独自に守らなくてはならないものというのは絶対にある。この本で述べられているように「対抗戦思想」「相手への尊敬の念」「多様な人々が混在するスタンド」なんてのはその核をなすものだろう。こうしたものを守ろうとするがゆえに「古くさい」「抵抗勢力」なんてレッテルを貼られるとすれば、それはむしろ誇りとすべきではなかろうか。この手のジジイ(失礼、「おやぢ」でしたね)を僕は断固支持する。

 あとついでに言うと、ここ数年の戦術的な流れについてあまり深く突っ込みすぎずに解説しているのもこの本のいいところ。専門誌の解説は確かに詳しいんだけど、2つのフットボールかけ持ち派としては追い切れないんだよね。


1月23日(木)

 夜、新宿西口某居酒屋で飲み会。10年ぶりに会った友達もいたが、全然普通に話せた。友達は1回なってしまえば死ぬまで友達、ということか。

 横浜がカフー獲得を発表。本当にやりやがった。俊輔の移籍金が350万ドルで、カフーの2年半分の報酬が350万ドル。これほどわかりやすく、かつスケールのでかい補強作戦がかつて日本サッカー界にあっただろうか。敵ながら「やるなあ」という感じである。ま、それとシーズンに入ってからの勝負はまた別の問題であるが。


1月22日(水)

 夜、シネセゾン渋谷でローマン・コッポラ監督『CQ』。演出がゆるいとかストーリー展開が都合良すぎとかいう声があるのは知っているが、僕にとってそんなことは全く気にならず最初から最後までツボに入りまくった作品だった。劇中映画『ドラゴンフライ』の計算された60年代風のチャチさ、ちょっと青臭い映画観、アンジェラ・リンドヴァルの力強い美しさ、そして何と言っても主人公(ジェレミー・デイヴィス)の人物描写が素晴らしい。空想好きで凝り性で、集団や陽気な騒ぎからは一歩引きたくて、でも優しくて、なのに感情を出すのが下手で……。こういう奴は自分でもはっきり自覚できない(だからこそ、一見順番が逆のようでもまずは「表現」したくなる)何かを追い求めているうちに結局女にフラれたりするわけだが、そんな主人公を優しい目で見ているところが好きだな、この映画。おそらく主人公はコッポラ監督そのものであり、その姿に僕のような人間が自分を重ね合わせて感動しているわけだ。端から見るとただの馬鹿じゃねえかという気もしないでもないが、たまにはそういう夢心地があってもいいだろうとも思う。ラストシーン、キャメラの中で草原を跳ねるリンドヴァルに泣きそうになった。


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