7月11日(木)

 渋谷「ごまや」で夕飯。いつも思うのだが、僕とつれはどこのメシ屋に入っても食うのが異常に速い。ひどい時にはほとんど口もきかずに黙々と詰めこんでいたりする。端から見たら、あんまり仲が良さそうには見えないだろうね。

 

 何度目になるかわからないが、キューブリック監督『2001年宇宙の旅』をDVDで観る。「ツァラトゥストラはかく語りき」をBGMに縦に並んだ地球と月の向こうから太陽が昇ってくるオープニングは、何度見ても失禁しそうなくらい感動的。


7月10日(水)

 2日遅れで筋肉痛が出るのは、歳をとった証拠に違いない(笑)。何となくびっこ引き気味。

 夜は台風が接近しているのでとっとと帰り、スカパーでJ2リーグ。C大阪 4−1 水戸。相変わらず3ラインがぴたっと揃うようなきれいなサッカーで健闘する水戸。ハーフタイムまでは良かったのだけれど…。頭蓋骨骨折からよみがえった真中の先制点後、オウンゴール2発で撃沈。中途半端に前に出てやられた印象もあるが、そもそもペナルティエリア内を固めて守りきるサッカーを志向していないのだからある意味やむを得ないとも言えるだろう。一方のセレッソは、個人能力で圧倒しているくせにとどめをさし切れぬもどかしさが最後まで残った。攻撃はシンプルな縦パスが中心で、ゴール前ではパスの回しっこで決定力欠きまくり(特に西澤)。段々とマターリサッカーになりつつあるというか、J2に適応(笑)しつつあるような。

 途中、チャンネルを変えたら9人の川崎が大分にボコボコにされていた。なんだかなあ。


7月9日(火)

 宮台真司・宮崎哲弥の対談集『M2 われらの時代に』(朝日新聞社)読了。大学で講義を受けていた頃から思うのだが、宮台真司の言うことはほとんどの場合圧倒的に正しいのだけれど、その正しさ故に受け入れられ難いし政治的に多数派を形成するのも難しいだろう。帯には「日本中バカばっかり!」とあるのだけれど、人間というのは面と向かって馬鹿と言われると、たとえその馬鹿さを自覚していたとしても(笑)相手の発言に聞く耳持たなくたったりするからね。まあ、宮台の本当にやりたいのは大衆啓発よりも「核になるエリート」の形成なのだろうし、昔に比べると動機づけに気を配ったり人を褒めたりしているようには見えるのだけれど。


7月8日(月)

 また東京体育館で水泳。今日は25mプールの方で泳いでいたら、同じコースの中学生2人組が「追いつかれてばっかでやな感じ。速い人は50mの方で泳げよなー」とブツブツ話しているのを聞いてしまった。ごめんなさい(笑)。だって50mだと疲れるんだもーん。

 

 ビデオで、ジョン・カーペンター監督『ゴーストハンターズ』(原題”BIG TROUBLE IN LITTLE CHINA”)観る。腰が抜けるほどセンスのない邦題だが、映画自体はこの上なくゴキゲンで、最初から最後までノリノリのアクション快作。近年はやりの(笑)クンフー・アクションもあり。クライマックスでカート・ラッセルが相手の投げたナイフを瞬時に投げ返して妖怪を倒すかっちょいいシーンがあるが、カーペンターは絶対『ウルトラセブン』の最終回見てたと思うね。


7月7日(日)

 昼間、渋谷東急文化会館で周星馳監督『少林サッカー』観る。ああ、こんな映画が欲しかったんだ、と元少年ジャンプ読者・現サッカーファン&夢見る20代後半(笑)の俺は思った。『2001年宇宙の旅』をパロったオープニング(地球と少林寺風はげ頭とサッカーボールが重なった向こうから太陽が昇ってくる(笑))でもうやられた、って感じ。ギャグはガツンガツン入るヤツばっかだし、何より拳法の特徴の生かし方とかバナナの皮のくだりとか、アイデアと脚本が素晴らしすぎる。試合の場面で移動カメラとCGを巧みに使って表現した軽快極まるパスワークも、サッカーファンの目で見ても「おお!」と感嘆の声を上げる出来。そして、終盤の燃える展開から驚きと感動のオチへ。単に「優勝した!」で終わらないところも良かったね(勝ったのは、「夢を持ち続ける心」そのものだ!)。狙って作るおバカ映画の、一つの最高到達点とさえ言えるだろう。これを観ずして2002年のサッカーは語れまいよ。

 

 帰りに東急ハンズの近くをうろついていたら、グラサンにリーゼントに革ジャンのお兄さん達が数人歩いていたんで何だろうと思ったら、永ちゃんのアルバムが出てイベントやってたの?なんつーか、矢沢永吉つったら渋谷って感じじゃないと思うけどなあ。よけいなお世話か。

 アーサー・C・クラーク『3001年終局への旅』(ハヤカワ文庫)読了。シリーズ完結編。第1作の脇役フランク・プールが1000年ぶりに蘇生して未来社会を体験する前半部は感情移入しつつ楽しく読めたが、終盤の危機の顛末がちょっとあっさりしすぎというか拍子抜けというか。ま、前2作もそうだったので別に文句を言う気にはならないが。で、結局人類の歴史は「終局」には至らず、決着がまた1000年先に延ばされたところで物語は終わる。最後の1ページ(エピローグ)はまことに含みをもったもので、シリーズの最後を飾るにふさわしく、この1文を読んだだけでここまで来たかいもあったという気さえする。最後の言葉を発したのがボーマンなのか、そしてボーマンが示唆したものは何なのか、考え始めると夜も眠れなくなりそうだ。


7月6日(土)

 普段仕事で昼間出歩くことが少ないので、今日みたいな日に街を歩くとじとっとした空気がやたら不快に感じられる。暑い季節の到来をようやく実感、などと言えば聞こえが良いが、単にバテやすいだけだったりする。

 夜、国立競技場でラグビーW杯アジア地区予選第2戦。日本 155−3 中華台北。日本代表のテストマッチ最多得点(第3回W杯NZ戦での最多失点も上回った(笑))、大畑の1試合最多得点&1試合最多トライ&通算最多トライ数、ミラーの1試合最多コンバージョン成功(しかも成功率100%!)と記録ずくめの試合。これだけ実力差があると集中力を保つのも難しいだろうが、しかしジャパンの面々は最後までキッチリ戦いきったので見ている方もダレることがなかった。日本は終始試合をコントロールしきっていて、相手の弱さはさておき、懐の深さが出てきたのかなという気はする。FWの走力、バックスリーの決定力、控え選手の多様さ……まあ、一種の「お披露目会」といったところか。点数・内容ももちろん良かったのだけれど、試合後通路ですれ違う人々の顔が皆一様に明るかったのが何より嬉しかったね。これで予選突破は問題なし。あとは来年秋の本番に向けてどういう強化スケジュールを組んでいくか、だな。


7月5日(金)

 田中康夫知事の不信任案が可決。康夫ちゃんのエキセントリックな非政治家ぶりとか議員達の保身と新参者への反発とか色々言われているけど、そもそもあのダムは造らなくちゃならんものなのか(あるいは何か代替案を出さなくちゃいけないのか)と、そこを疑問に思う。長野ってそんなに水が不足してるの?洪水多発地帯だっけ?2年ほどまえに長野を訪れたことがあるが、とてもきれいに整備された駅・道路や意味もなくそびえ立つ巨大な五輪建築物と田舎の街並みとが完全にバランスを失しているいびつな街だった。今さら土建屋に金をばらまいても、地域の活性化など起こりようもないのだけは確かだ。

 夜、新宿西口の「ふる里の藏」で飲み会。料理は激ウマだったが、しかしシメがそばというのがちょっとなあ。ビールに合わんのだよ、ビールに(と、ビーラーの独り言)。


7月4日(木)

 夕方、東京体育館でまた泳ぐ。コースを守れないデブオヤジにイライラ。

 

 DVDでジャン=リュック・ゴダール監督『彼女について私が知っている二、三の事柄』。郊外の新興住宅地の仮想現実的風景。けだるさ。鬱屈。どこにも行き場のない閉塞感。主人公(?)の売春おばさんの目が怖すぎ。まあ、つまらんモノローグ満載の退屈な映画だ。


7月3日(水)

 うーむ、ジーコか……。「国際経験」「日本サッカーに精通」「選手からの信望」という条件ならば、山本昌邦コーチで十分満たしているじゃないかと思うのだけれど(W杯・五輪・ワールドユースで活躍!)。「ファンの納得」「外国人」なんて条件をつけるあたりが、今回の監督選びがあまり理詰めでないことを伺わせる。川淵さんってのもちょっと独裁気質がありそうだし、思いこみとファンへの受けを優先させていないことを願うばかり。

 俊輔はレッジーナか。プレースタイルからするとセリエAよりリーガ・エスパニョーラの方が合いそうな気もするけれど……かえって一皮むけるいいきっかけになるかもしれないしね。

 

 ビデオでトビー・フーパー監督『スポンテイニアス・コンバッション』観る。「人体自然発火」というアイデア一発勝負、見てびっくりの怪作。最初は両親の被爆で発火能力を得た男の復讐の話かと思って見ていたら、吹き出す炎がエスカレートするとともに主人公の能力も物語の展開も制御が効かず暴走状態に。最後はいろんな人にボーボー火がつきまくっちゃってもうムチャクチャ。特撮はチャチいしストーリーは破綻寸前なのだが、緊張感がどんどん高まって行ったあげくにテンション最高の所であっさり終わってしまい、妙な余韻が残る映画。そういえば『スペース・バンパイア』も似たような感じだったなあ。


7月2日(火)

 この頃、何かにつけて自分の「社会的常識」の無さを思い知らされる日々である。ああ、はやく立派な大人になりたい(笑)。

 夕方、東京体育館で水泳。ちょっと調子が出てきたかな。

 

 夜、ビデオでジョン・カーペンター監督『ニューヨーク1997』観る。悪の巣窟と化した近未来のニューヨーク。大統領救出の任を負わされた主人公スネーク(カート・ラッセル)の乗る小型機が真っ暗なマンハッタン島に乗り込んで…という導入部。そしてアスファルトの下から次々と化け物じみた悪党たちが現れて…。ここまでは良かった。が、後半の間の延びきったぬるい展開はいったい何事か。登場人物の行動の動機が全く見えず、スリルもサスペンスも存在しなかった。「そもそも悪党は誰か」がわからなくなるラストはまあいいとして、全般的には平凡な出来だと思う。


7月1日(月)

 白土三平『ワタリ』(小学館文庫)読了。次々と繰り出されるワタリらの術と目まぐるしいアクションは確かに痛快だが、冷静な目で見ればこれは惨めな敗北の物語である。主人公ワタリは愛する者を守ることがかなわないし、不死身の「0(ゼロ)の忍者」の正体を暴き出したまではいいものの、0を利用して人々を恐怖で支配する者の優位を覆すことはできず、濡れ衣を着せられたまま一族の里からワタリが追われていくシーンで物語が終わってしまう。思いこみにとらわれて真実に目をやることのない群集心理の恐ろしさ、そして逃げるワタリを見送る服部半蔵の憎々しげなこと!ただし、『カムイ伝』と同様、全てが絶望に覆われたラストであるわけでもない。社会に確固として存在している抑圧的な構造はなかなか変えることはできずとも、それに屈服せず外に出、また中に入っては戦う者の存在そのものが一筋の希望となって未来へとつながっていく。「パンドラの箱」的なロマンは、時代を超えて僕たちに力を与えてくれるのだ。


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